新人発掘と新しい時代のあるべき公募団体として…… 芸術の森から芸術の街へ……
 
 

歴史を継承し、未来に向けて歩む

 新日本美術院は1968年中興の祖・義江清司初代会長が創立した。
 桟勝正は当時美術団体「美展」を創立並びに運営し、毎年、京都市美術館に於いて京都新聞社、NHK京都放送局、その他各社後援により総合美術展を開催する。1973年、桟勝正は新院展の義江会長との話し合いにより新日本美術院と美展とを合流合併させ、義江会長を顧問とし、新院展を全面的に継承し、同時に桟は新日本美術院の初代理事長に就任して、新院展の最高経営責任者として義江会長の意思を引き継いだ。
 その後1982年に義江会長が逝去した際、桟は新日本美術院葬として義江会長を弔った。それを機に、かつて美展の幹部役員であった丹羽俊夫を二代目会長に推し、出雲佐代子顧問による新体制を結成し、新たにスタートすることになる。
 それと同時に元美展の役員であった韓国の社団法人HMA心美会白満佑会長を国際顧問として新日本美術院に推挙し、毎年一度も欠かすこと無く、日韓両国において相互に展覧会を開催すると同時に中国、台湾、欧米各国との国際美術交流を続け、国際芸術文化の向上に寄与した。
 1994年新日本美術院の運営内において、新しくマスターズ大東京展という名称で、総合美術団体を結成し、将来に備えて、学生並びに若い世代の芸術家の育成指導を図り、東京銀座セントラル美術館に於いて最初の旗揚げをして展覧会を開催し、以後毎年4月有楽町東京交通会館において開催した。これにより新日本美術院は規模を拡大し、新院展とマスターズ大東京展を運営することになる。
 創立50周年(2018年)を迎えるにあたり桟は出雲の協力を得て一般社団法人の認可を取得、新院展は50周年記念事業を無事成功裡に終えた。桟、丹羽、出雲は37年の永きに亘り幾多の困難と変遷を乗り越え、会員を増員し、会の質のレベルアップを図るなど新日本美術院の向上発展に尽力した。社団法人の認可を取得することにより新しく役員改革を断行して、桟は最高顧問に就任し、丹羽は名誉会長に就任し、大矢良治が三代目会長に就任した。そして竹市和昭を二代目理事長とした。
 さらに2019年11月新日本美術院の工芸部は港区六本木の国立新美術館に於いて556作品を出品しての第1回新院工芸展を成功させた。
 令和5年、55回記念展を迎え、四代目会長に町田譽曽彦が就任した。55回記念展は華々しく開催したが、終了後竹市理事長が退任した。最高顧問 桟が後藤隆を三代目理事長として任命した。理事長 後藤隆、名誉会長 大矢良治、会長 町田譽曽彦と次代への新体制を確立する。
 近年ではスリランカやモンゴルの子供達、国内においても幼稚園、小・中学校や障害を持つ子供達の出品作も増えてきており、そういった部門にも力を注いでいくことになっている。
 戦後、昭和並びに平成の巨匠たちが綺羅星の如く登場し個性豊かに表現を展開してきた。こうして絵画芸術を支える背景が激変するなか、これからの絵画その他の芸術文化のありようを模索しつつ、次世代へ継承するという命題を念頭に、国際親善交流の輪を広げ、人間共通の世界平和を願い、役員並びに会員が一丸となり伝統を踏まえつつ、美術・芸術・文化の向上、発展に寄与することこそ一般社団法人新日本美術院の使命であると確信する。

一般社団法人  新日本美術院 
 
一般社団法人 新日本美術院
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